中日ドラゴンズから北海道日本ハムファイターズに移籍後、注目が集まっている郡司裕也(ぐんじ ゆうや)選手。
そんな郡司裕也選手は、三冠王を獲得したことがあるといいます。
郡司裕也選手はいつ、どこで三冠王を達成したのか?
詳しくまとめました!
郡司裕也選手が三冠王っていつの話?
大学時代の話です。
郡司選手は慶應義塾大学の出身ですよね。
そうですね。
郡司選手の慶應大学時代の三冠王について、詳しくご紹介しますね。
三冠王を達成したリーグ戦
郡司裕也選手が三冠王を達成したのは、東京六大学による秋季リーグ戦です。
- 早稲田大学
- 慶應義塾大学
- 明治大学
- 法政大学
- 東京大学
- 立教大学
東京六大学野球は、上記6つの大学で構成されている野球リーグです。
年に2回、春季リーグ戦と秋季リーグ戦が明治神宮野球場で開催されています。
ご覧のとおり、郡司裕也選手の在籍していた慶應義塾大学も東京六大学に含まれています。
三冠王を達成した学年と時期
郡司裕也選手が三冠王を達成したのは、大学4年生だった2019年秋です。
最終学年の秋か。
最後の東京六大学野球で好成績を残したんですね。
三冠王を達成した成績
郡司裕也選手が秋季リーグ戦11試合に出場して残した成績がこちらです。
打率 | .394 |
---|---|
本塁打 | 2 |
打点 | 10 |
リーグ戦・選手個人通算成績(https://www.big6.gr.jp/system/prog/kojinseiseki_career_individual.php?m=pc&p=AK16GY0)をもとに作成
打率が4割に近いですね!
大学4年生の秋にこの成績を残して、郡司裕也選手は2019年の東京六大学野球秋季リーグで三冠王になったんですね。
東京六大学の三冠王ってどれくらいすごいの?
東京六大学野球三冠王のすごい点を2つご紹介します。
①戦後17人しか達成していない記録である
②達成者の中から名選手が誕生している
①戦後17人しか達成していない記録
戦後1946年から2023年まで毎年2回ずつ開催されてきたリーグ戦で、三冠王を達成した選手は17人だけだそうです。
郡司裕也選手は、戦後14人目の三冠王達成者。
2012年秋以来7年ぶりの三冠王誕生だったそうです。
②達成者の中から名選手が誕生
東京六大学野球の三冠王達成者の中には、プロ野球に進んで名選手と呼ばれた人たちがいます。
- 岡田彰布さん(早稲田)
- 小早川毅彦さん(法政)
- 高橋由伸さん(慶應義塾)
- 鳥谷敬さん(早稲田)
まず、阪神タイガースの日本一に貢献した岡田彰布(おかだ あきのぶ)さん。
現役引退後も阪神タイガースを日本一に導くなど、指導者としての手腕も高い評価を得ています。
広島カープで活躍した小早川毅彦(こばやかわ たけひこ)さんも三冠王達成者。
ほかに、人気・実力ともに一流だった高橋由伸(たかはし よしのぶ)さんや鳥谷敬(とりたに たかし)さんらがいます。
郡司選手も、名選手の仲間入りをする可能性があるってことですね!
三冠王の実績があるのに、なぜ郡司裕也選手は中日で活躍できなかったの?
①守備の面で課題があった
②チャンスの数が少なかった
日ハムでの活躍、三冠王の実績。
これらを見ると、なぜ郡司裕也選手が前所属球団の中日ドラゴンズで花開かなかったのか不思議ですよね。
郡司裕也選手が中日で活躍できなかった2つの理由をご紹介します。
【理由①】守備の面で課題があった
郡司裕也選手の本来のポジションは捕手(キャッチャー)です。
知的なリードを評価する人もいるものの、郡司裕也選手にはキャッチャー守備の面で課題があったようです。
打撃面の成績が優秀なのにドラフトで上位指名されなかったのも、守備の評価が高くなかったからだといわれています。
現役時代数々の受賞歴がある元捕手の谷繁元信さんも、中日時代の郡司裕也選手についていくつかの守備の課題を指摘しています。
キャッチャーとして評価が低いと、ポジション争いに勝てないですよね。
出場機会が得られないと、活躍もできませんね…。
【理由②】チャンスの数が少なかった
中日ドラゴンズのファンの中には、中日時代の郡司裕也選手に与えられるチャンスがあまりにも少なかったと感じている人がいるようです。
入団1年目の2020年には76打席が与えられたものの、2023年の一軍出場数は1試合1打席のみ。
二軍成績が突出していたわけではないので難しいところですが、一軍に昇格させたならもう少し打席を見てほしかったと思うファンもいるでしょう。
チャンスが少なsかったのには何か理由があるんですか?
郡司裕也選手にチャンスが少なかった理由は2つ考えられます。
- 捕手としては課題が多かった
- 競争に勝てなかった
守備面に課題がある郡司裕也選手が、一軍捕手として試合に出るのはまだ難しかったとされています。
となると、出場機会を得るには捕手以外のポジションを守ることになります。
馴れない守備位置で、ほかの若手選手や外国人選手とのポジション争いに勝たなければなりません。
出場機会をめぐる激しい競争に打ち勝つには、監督をはじめとした首脳陣に評価される必要があります。
郡司裕也選手に与えられるチャンスが少なかったとすれば、中日の首脳陣に選ばれなかったのでしょうね。
まとめ
- 郡司裕也選手が三冠王を達成したのは、2019年の東京六大学野球秋季リーグです。
- 三冠王を達成したとき、郡司裕也選手は大学4年生でした。
- 戦後1946年から2023年まで毎年2回ずつ開催されてきた東京六大学野球で、三冠王を達成した選手は17人だけです。
- 東京六大学野球の三冠王達成者には、プロ野球界に進んで名選手と呼ばれた人たちがいます。
- 三冠王の実績を持つ郡司裕也選手が中日で活躍できなかったのには、次の2つの理由があるとされます。
①捕手としては課題が多かった
②競争に勝てなかった
中日では花開かなかったけど、日ハムでは新庄監督にもらったチャンスをガッチリつかんだんですね!
これからもガンガン活躍してもらいたいです!