壇ノ浦構文とはどんな文章?元ネタは大河ドラマにも描かれた悲劇的場面

壇ノ浦構文とは
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SNSなどでたびたび話題になる「〇〇構文」。

そのうちの1つに「壇ノ浦(だんのうら)構文」があります。

  • 壇ノ浦構文とは、どういう文章を指すの?
  • 壇ノ浦構文の元ネタは何?

今回は壇ノ浦構文に関する情報についてご紹介します。

目次

壇ノ浦構文とはどういう文章を指す?

インターネット上などで壇ノ浦構文と呼ばれている文章の形式がこちらです。

〇〇(名詞A)の△△(位置)にも□□(名詞B)はございます。

例えばこちら、あるオープンキャンパスの会場に設置されていたという案内文。

「院生室(名詞A)の奥(位置情報)にも研究室(名詞B)はございます」という文章。

「〇〇(名詞A)の△△(位置情報)にも□□(名詞B)はございます」と同じ文章の形式になっていますね。

「〇〇(名詞A)の△△(位置情報)にも」の部分は厳密ではなく、街で見かけるさまざまな文章が壇ノ浦構文と呼ばれています。

壇ノ浦構文の例
  • この先にも国内線出発カウンターはございます
  • 4階・5階にも傘立てはございます
  • 奈良公園周辺にもトイレはございます

壇ノ浦構文の元ネタは?

壇ノ浦構文の元ネタとされているのは、壇ノ浦の戦いの有名なセリフです。

壇ノ浦の戦いとは?

壇ノ浦の戦いとは、大河ドラマなどでも描かれている歴史上の有名な海戦の1つです。

闘ったのは源氏と平氏。

壇ノ浦の戦いは、源平合戦の最期の戦いだったそうです。

有名なセリフとは?

壇ノ浦構文の元ネタになった有名なセリフとは、「波の下にも都はございます」です。

「〇〇(名詞A)の△△(位置情報)にも□□(名詞B)はございます」の形式になっていますね。

「波の下にも都はございます」は、壇ノ浦の戦いの様子を描いた『平家物語』に登場するセリフを現代でも伝わるように訳したものです。

誰が言った?

「波の下にも都はございます」は、ある印象的な場面で発せられたとされる言葉です。

『平家物語』では、発したのは天皇の祖母とされているようです。

まだ子供だった安徳天皇に向けて、天皇の祖母が発した言葉です。

どんな場面で言った?

祖母が幼い安徳天皇を抱いて海に身を投じるという悲劇的な場面で描かれたセリフです。

壇ノ浦の戦いで平家は源氏に敗れてしまいました。

安徳天皇は平清盛の孫であり、つまり平家の一員です。

そのため、『平家物語』ではまだ小さな子供だった安徳天皇を祖母が抱き上げて共に海に身を投じた場面が描写されました。

幼い安徳天皇は、船上で自分を抱き上げた祖母に「どこへ連れていくのか」と尋ねたそうです。

安徳天皇の問いに対して、祖母が答えたのが「波の下にも都はございます」だったとされています。

幼い天皇が入水する悲劇的なシーンは印象的で、「波の下にも都はございます」という言葉も記憶に残っている人が多いようです。

まとめ

以上のように、壇ノ浦構文とは壇ノ浦の戦いを描いた『平家物語』のセリフ「波の下にも都はございます」が元ネタのようです。

授業ではそんなセリフまで習わなかったという人もいるでしょう。

興味があれば、壇ノ浦の戦いについて調べてみるのもおすすめです。

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